移植体験記





川口章子さん 体験記

 バンクへの登録は1998年10月。2004年10月に適合のお知らせが来たが、その際には提供出来ませんでした。その2年後の4月に適合の知らせがありました。
確認検査前に財団からVTRを送って頂き、事前に採取に関して理解できました。
その後の確認検査で提供が決まりました。確認検査から提供までは5ヶ月かかりました。その間、健康診断や自己採血を2回行いました。
確認検査では肺活量の検査もあり、体調を気遣ってもらえているのが感じられました。(肺活量の確認は全身麻酔に関係しています)
コーディネータは親切で、説明も丁寧でした(入院日を土日に合わせてもらうよう希望したところ、そのようにして頂きました)。 
担当医師の説明は分かりやすく、不安もなく採取日まで行きつくことが出来ました。
採取当日は、麻酔が初めての為、緊張しましたが、あっという間に終わりました。
麻酔が醒めると、腰が重たい感じがしました。退院までは順調で、退院したその日に自転車に乗ることも出来ました。
提供後も健康診断がありました。コーディネータはとても体調を心配して下さいました。

(質問と川口さんのお話)
●ドナー候補としての連絡はどのようでしたか?
 ⇒バンクニュースとは違う封筒が届いたので、「もしかしたら!」と思いました。
最初の連絡の患者は海外の方であり、採取する病院は飛行場の近くの病院になる可能
性があるとの注意書きがありました。
●ドナーになることについて、家族の同意を得るまでに大変ではなかったですか?
 ⇒バンク登録時に夫には了解してもらっていたので、比較的すぐに理解が得られました。
● コーディネータの意思確認はしくこく無かったですか?
 ⇒意思確認(提供してもらえますか?)は行われましたが、執拗ではありませんでした。
●自分がドナーに決定後に気をつけたことはありますか?
⇒決定後は栄養を気にしたり、事故はしないよう、病気にかからないよう注意しました。
●手術後は、しんどく無かったですか?
 ⇒腰を触ると痛みはありましたが、熱は出ませんでした。(山村さんの場合、腰の痛みが
ひどく、39度の熱が出た)
● 提供して良かったことは?
 ⇒子供に骨髄を提供したことを話しました。 そして理解してもらえました。
● 患者さんとの連絡はどうでした?
 ⇒患者さんからの手紙を朗読。
● もう一度、ドナーになって欲しいと言われたらどうしますか?
 ⇒また、提供します。


天理市 50代 女性 その1

 はじめまして、私は天理市在住の元患者の奥村と申します。これから、私の体験談をこのホームページを借りて皆さんに読んで頂く事になりました。宜しくお願いします。患者さんはもちろん、そのご家族の方々やご友人の方々の励みに少しでもなれば幸いです。
 平成9年6月初旬、私は、急性骨髄白血病になり 幸い翌10年3月27日妹の骨髄を移植し現在に至っております。移植を受けた現在体調はすこぶる快調、以前よりは体力は衰えたものの何ら変わらぬ毎日を送っております。おかげさまで 2回抜け落ちた髪の毛もしっかり生えそろい、見た目も発病前より「若返ったね!」といわれるようになりました。(図々しくてごめんなさい。)
 今、考えると、なにせ初めての体験でしたから「悲しみ」と「不安」と「辛さ」との戦いの毎日で、その時に少しでも「前向きなアドバイス」や「体験談を通したお話」に触れる事が出来れば・・・もっと精神的に楽だったかも知れないと思っています。そんな私の経験から、どんな小さな事でも聞きたいことがあればご遠慮なくお伝えください。私も こうして元気になった今、少しでも人様のお役にたてればと地元ボランティア団体に入り微力ながら活動いたしております。一緒に悩んで、励ましあって、勇気をつけて治る事を信じて前向きに過ごしましょう。
 ちなみに私の心臓には毛がはえていると主治医に言われ、いつも「強いなぁ〜」と言われてきました。本当は弱くて泣き虫なのに・・・・・駄々、意地っ張りなだけ・・・・人前で弱音を吐きたくなかっただけなのに・・・・皆さんはいかがですか?これから末永く宜しくお願いします。


天理市 50代 女性 その2

5月のある日、先日、映画「ビューティフル・マインド」を見ました。いつも、幻想に悩まされ精神分裂症の主人公(数学者)が、ノーベル賞の受賞式で述べた言葉は、「今、ここにいる自分は、妻のお陰」でした。私は、映画そのものに感動したのは言うまでもありませんが、涙が止まらず、「私も今ここにいるのは、主人のおかげ・・・」。闘病中の事を思い出し、別の涙が溢れて外に出るのが恥ずかしかった私です。告知される3日前から主人は、担当医から病名を知らされていたのですが、私に悟られない様に気を遣い、明るいいつもの顔で見舞いに来てくれていました。とても辛く苦しく、「このまま、いい思いもしないで死んでいくのかなぁ〜」と思ったそうです。
「告知」・・・それは、本人はもちろん家族、友人、周りの者皆がショックをうけてしまいます。治療のためには本人も知っているほうがよいとはいうものの、やはり、辛く、奈落の底に突き落とされたようでした。どんな病気であれ、本人や家族にとっては大変なことで、一家の一大事です。これからいったい自分はどうなるのだろう?死ぬのではないだろうか?悪いことばかり考えてしまい眠れぬ夜を何日も過ごし、覚悟を決めて治療を受ける前向きな心が固まるには、少し時間がかかりました。風邪一つひいたことのない、元気だけがとり得だった私がこんな病気になるなんて・・・。「どうして・・・?」、[何が悪かったの?」、「何が原因ですか?」と尋ねても「ボタンの掛け間違いだと思って諦めなさい」と言われるし、いったい何を頼りに生きていけばいいのか?落ち込んでいる私に、主人は「おまえさえ、元気になってくれたら何も望まない。元気になって欲しい。生きていて欲しい。」と言ってくれたお陰で、あなたのために・・・、子供のために・・・、そして、自分のために頑張る気持ちになりました。今元気に過ごしているのも主人のお陰です。




岡山県 20代 女性


 私が事、こうして元気に過ごしていられるのはドナーさんのおかげです。私に生きるチャンスをくれてありがとう!としか言う言葉はありません。
 しかし、今もドナーが見つからず苦しい治療に耐えている患者さんが大勢います。私が患者登録した当時、ドナー登録者数は約13万人でした。私の場合3人の適合者が検索されました。コーディネートが開始され、すぐに最終同意がいただけました。まるで「待っていましたヨ」と言わんばかりに。先生も驚く速さで「エツ、もう返事が来ましたか」と……。
 移植が出来たからと言って「絶対に治る」とは断言出来ないのですが、そのスタート台にすら立てない患者さんもたくさんいます。何処の誰かも知れない人のため、骨髄バンクに登録してくださった貴方に「再難うございます」。






静岡県 20代 女性


 3年前、骨髄異形成症候群という病気が見つかり、骨髄移植が必要だと告知されました。身内にはHLA適合者はおらず、骨髄バンクからドナーさんを探しました。医師に『見つかる確率は高いんだよ』と言われても見ず知らずの私の為に、骨髄液を提供してくれる人がいるのか本当に不安でした。ドナー検索では数名の候補者がいましたが、DNAレベルでは一致していない、などの理由で候補者は減っていき、その度に一喜一憂をしていました。
 “病気と闘うチャンスをください!”何度願ったか分かりません。『移植日が決まったよ』医師からそう言われた時は、夢のような信じられない気持ちでいっぱいでした。そしてこれまでの不安は吹き飛び、自分は治るんだ!という確信に変わりました。
 移植当日。ドナーさんの骨髄液が注入されると全身が熱くなり、じんじんと痺れてきました。“私の中でドナーさんの骨髄液が頑張つてくれているんだ、これで私は治るんだ!”そう思うと、どんなに体は辛くても、気持ちはうれしくてたまりませんでした。挫けそうな時も、“ドナーさんと−緒に戦っているんだ、一人じやない!”と思うと勇気が湧き出てきました。
 病気と闘うチャンス、病気と闘う勇気、そして新たな命をくれたドナーさん。感謝してもしきれない程ですが、もし会う事が出来たなら、心から‘‘ありがとう′′を伝えたいです。本当にありがとう。