骨髄ドナー提供体験記





東京都 30代 女性


 「何でうちの娘が“知らない人”の為に痛い思いを…」と、最終同意の席で心配した父が反対。(心配しない親がいるわけがないと思います)一時は提供を断念しようかと思いました。
 12年前、兄が骨髄移植を必要とする病を発症したのがドナー登録のきっかけでした。血縁にドナーがなく、骨髄バンクに希望を託しましたが残念ながら適合するドナーが見つからず、26歳という若さで逝きました。
 「“知らない人”じやないよ!」最終的に私のこの言葉で同意の方向になりました。たくさんの中からHLA型がピッタリ合って選ばれたのだから“知らない人”ではない。待っている患者さんの気持ちが痛いくらいわかるはずの家族でさえ反対したのです。他人と考えるのではなく、家族が1人増えたと思ってもらうことが大切!
 それから、よく女性が気にする採取針の痕ですが、私は半年もしないうちに消えました。本当は大切な思い出のひとつとして残しておきたかったです。






埼玉県 30代 男性


 「○○さん!」と僕を呼ぶ声を意識の遠くから感じ、はっとして目が覚め、その瞬間『あれっ?』と違和感を覚えた。自分を囲んでいる医師の方々や看護師さん達、手術室の様子がはっきり分かる。手術室から出てくると妻が待っていてくれた。すれ違う時に言葉を交わした。またまた『あれっ?』…。はっきり会話をしている自分がいるのだ。全身麻酔の覚醒ってこんな感じ‥?事前に提供経験のある方から聞いていたのとまったく違う、これが個人差なのかなと思った。
 ベッドにもどり寝かされる。ほんの少しの痛み、というか疼きを採取部位に感じる程度。そして、その後も回復は早かった、昼も過ぎるころには痛みを感じる事はなくなり、普通に歩けるようになつた。夕飯もおいしく食べられた。夜にはお見舞いに訪れてくれた友人達と病室外の面会スぺ−スでプロ野球中継を見ながらプリンを食べていた。もう提供部位の痛みを感じる事はまったくなかった。







北海道 30代 女性


 骨髄提供から5年が経ちます。当時在宅ヘルパーとして働いていました。4歳と2歳の幼い子供たち、夫は不規則勤務。入院中、子供たちと夫の世話は実家の母に頼むしかなく、提供に賛成してくれるか悩みましたが「人の役に立つなら」とあっさり賛成してくれました。
 ところが職場の上司が大反対「そんな危険なこと」「他人の人生を何でそこまでしてあなたが救わなきゃいけないの」、ヘルパーは高齢者や障害者をお世話する福祉の仕事、命を助ける職。上司は「命を救うな」と。この時私は「絶対、提供してやる!患者さんの運命を私が変えてやろうじゃないの」と燃え、「もう断れませんから」と押し通しました。
 提供後、あれは私の体を心配しての発言だろうと考え直しましたが、ドナーに理解の無い人が多く、とても残念です。振り返り手術を受けたのは確かに私ですが、支えてくれた夫や母も「提供者」なのだと私は感じています。入院はたったの4日間。長い人生4、5日を他人の為に使ったっていいじゃないですか。






青森県 30代 男性


 姉の病気がきつかけで骨髄バンクに登録しました。候補に選ばれた時は不安もありましたが、提供経験者のお話では、検査から退院まで丁寧な対応で「特に心配することはなかつたよ」と聞き、安心して臨めました。
 検査では筋肉痛でさえ駄目だと知り「検査一つでも厳しく見るんだ」と冷や汗をかきました。無事採取を終え、翌々日退院しましたが採取量が多かつたせいか、かなりの痛みが残つたままでした。しかし、骨髄を待つ患者さんの痛みは、自分の痛みとは比べ物にならないほど苦しい思いをしていると聞き「これ位大したことない」と思えました。痛みも2週間ほどで消え、きめ細かな対応してくださつたコーディネーター、病院の先生、看護師さんには本当にお世話になりました。
 先日、患者さんからお手紙が届き、改めてお役に立てた事を実感。「若いからもう一回あるかもね」というお話をされましたが、喜んで協力させて頂きたいと思います。ちよつとした勇気で因つている人が救えるのです。是非登録しましょう。






福島県 30代 男性


 胃髄バンクヘのドナー登録は1994年。当時は今のように偶然見かけた献血バスで骨髄バンクのドナー登録もできるような簡単さがなく、仕事の休みを調整してドナー登録をしました。その後、患者さんとHLAの型が合ったとの封書が届いた時には飛び上がって喜びました。
 3次検査後は最終同意をし、提供日の1ケ月前に健康診断、2週間前に自己血採血、採取前日に入院。最終同意時に妻は反対をしませんでしたが、本当は「何かあったらどうしよう」と心配していたそうです。採取当日は5時半に目覚め、ストレッチャーに移乗したのは6時少し前。手術室の無影燈を見て、いよいよ始まるんだなあといささか興奮しているうちに準備は進み、次に気がついたのは朝出発した病室。骨髄液採取は腸胃上部4ケ所より都合90回針を刺し、細胞濃度が高かったので予定より少ない650mlの採取で終了。採取部位の痛みはそれほどではなく、導尿カテーテルを抜いたあとの尿瓶を使ったベッド上放尿は大変痛かったです。採取後は問題なく2日後に退院。その翌日には仕事に復帰。今では採取部位の跡すら残っていません。ちょっと悲しい。






福井県 30代 女性


 内々に採取日を打診される中、家族の抵抗にあいました。ドナー登録した際に話はしていたのですが、じつくり話をしていたわけではなかつたので、すつかり忘れられていました。
 最近、自分で責任を取ることを大前提にすべて事後承諾で行動していたので、最終同意のときには「何の相談もなく」と叱られました。久々に大喧嘩!頭を下げる形で押し切りましたが、親の気持ちを考えると、健康な体に全身麻酔をかけて万−のことがあつた場合、取り返しのつかない後悔を負わせることになる…。後に深く反省。
 しかし、そう言いながらも私がドナーに選ばれたことを母の友人に話していた事を又聞きしたときは「自慢の娘にもなつているんだなあ〜」と、複雑な心境も親なら仕方のないことと思ったのです。
 覚醒後は、傷口が少し痛む以外健康体の入院生活、退院後も通常生活でした。風邪の脱水症状で、2・3日寝込んだ時より普通なのに驚いたほどです。